自主経営における楽しみと痛み

ティール組織における管理職の楽しみと苦しみ【フレデリックラルー氏動画④要約】

「ティール組織における管理職の楽しみと苦しみ」と題して、「ティール組織」著者のフレデリックラルー氏による動画の要約をお届けします。

フレデリックラルー氏は書籍のほかに、100を超える動画を公開してくれています。本記事では、その中の「シリーズ4-1.ティール組織における管理職の楽しみと苦しみ」の要約をご紹介させていただきます。

ぜひご参考にされてください。

▶元の動画「(Mis)understanding self-management」はこちらから

▶ティール組織を実践するためのティール組織診断マップはこちらから

 

これまで話してきたように、自主経営に移行した組織のリーダーの役割は「組織を管理すること」、つまり「問題を防いだり対処すること」から「自己修正できる組織に持っていくこと」に変わります。言い方を変えれば、リーダーにあったコントロールする権限は組織そのものへ移行し、組織が自ら機能する仕組みに変えることです。リーダーたちはこれをどう感じているでしょうか?彼らにとって、この大きな変化は苦痛を伴います。ラッキーなことにこれは一時的で最初だけにくるものですが、残念なことにその痛みはしばらく続き、楽しみが訪れるまでにはしばらく時間がかかります。

苦痛には二タイプあって、一つはエゴからくる苦しみです。人や事態を管理できる特権は染みついたもので、できれば手放したくないものです。事態を収拾したヒーロー的な感覚は気分の良いものです。それが、新しいシステムでは自分だけでなく他の者もこういう立場に立つのですから、自分の存在が危ぶまれた気になります。覚えていて欲しいのは、リーダーは変わらずイニシアティブを取れる存在であって、それは介入する役ではなく、システムが解決するための手助けをする役になるということです。

二つ目の痛みはいわゆる錯覚的な痛み(phantom pain)です。リーダーにとってこれまで決断を下すのは容易いことでしたが、新しいシステムではアドバイスプロセスといった違うやり方があるので慣れるのに苦労を要します。新しいやり方が依然と同じように有効であると実感できるまでには時間がかかるわけです。しかしその苦労のあとには大きな喜びが待っています。あなたは自分の肩の荷が下りたことと、組織が自然と機能していることに大きな安堵感と喜びを感じるでしょう。いろいろなリーダーが嬉しそうに「二ヶ月も職場を離れたのに誰からも電話もなく、戻ってみたら全て滞りなく物事が進んでいました」と私に話してくれました。

組織のリーダーと話していて面白いことに気づいたのですが、リーダーたちは何もコントロールしたいエゴだけで新しいやり方を躊躇していたわけではなく、直感的に自分の介入をここで止めるのは危険だと感じていたのです。とある組織と話した時も、彼らはヒエラルキー的なやり方を止めて構造を変える必要があったが、トップはそれに踏み切れなかった。トップの者と話したところ、「まだ自分の管理下においておかないと組織が機能せず危険だと判断している」ということでした。実際、大きな移行を実施するにはそれができる状態になっている必要があり、それを見計らいながら移行する必要があるでしょう。

リーダーが管理する権力を手放すことを躊躇する時、それがどういった理由からくる感情なのか、自己分析したり、信頼できる人に相談したりしながらよく考えてみることをお勧めします。エゴかもしれないし、新しいプロセスに移行することによる学びの痛みかもしれないし、あるいはどこか危険を察知してことからくる不安感なのかもしれません。そしてその痛みのあとには喜びや安堵が訪れることも忘れないでください。

自主経営の5つの重要なプロセス

自主経営について時間を割いて話し合いながら、実のところは小さな変化だけを加えていてヒエラルキーなやり方を全く脱しきれていない組織と接することがあって驚きます。そんな難しいことではなく、4つか5つの主なプロセスがあるだけで90%はカバーしたようなものなのですが。

誤解しないで欲しいのは、どんな組織にも通用する、型にはまったやりかたがあると言っているのではありません。それぞれに違った状況があり、違う経験をしながら移行するものだと思っています。ただ、どんな組織でも押さえなければならない基本プロセスがいくつかあるわけです。

私が思うにすぐに考慮しなければならないポイントが5つあって、それはどんな組織にも言えることです。一つ目は、当然、組織決定のやり方で、これまでのヒエラルキー的なやり方でなくアドバイスプロセスあるいはコンセンサスベースのやり方に切り替えることです。二つ目は役割の変化で、これまでの型にはまった役ではなくこれまでマネージャーが担ってきた長期目標や計画の策定や対立の対応や人事や評価といった様々な機能を分解する必要があります。

その際に不要な仕事は皆で話し合って廃止したりと、管理的機能を再定義し分配することです。三つ目は情報開示で、新しいやり方では組織全員が正しい判断をするために必要な情報を得られる必要がある。また前回話したように、自己修正を起こすのに必要なデータの把握が必要である。これはつまり情報を公にすることであって、情報を単に開示するだけでなく、もっとわかりやすい形にしたりして全員が咀嚼できるようにする必要があります。またそれだけでなく、それを基に皆が話し合える場があることが重要です。四つ目は、パフォーマンス評価についてです。従来はマネージャーが部下の仕事の良し悪しを評価していたが、それを同僚間の評価など公正にする必要がある。また個々のパフォーマンスだけでなく、チームとしての業績も素早く評価され、必要に応じて自己修正できる仕組みが必要です。五つ目は、対立が起きた際の対応についてです。従来は上司が処理していたわけですが、それが変わります。本で取り上げた企業の事例ではそれぞれ独自の対処方法を実施しています。これらの5つの基本プロセスは移行初期段階ですぐに変えるべき事項です。

こういったプロセスについては具体的に文書化されていますし、インターネットのwikiにも情報がまとめられているので、そういったものを活用して行動を起こすことは難しいことではないはずです。一方、これらを鵜呑みにするのはよくありません。先ほども言ったようにそれぞれ状況は違うし、組織の根本的な構造変化を伴うものです。FAVI社でもこれまでの組織形態を大きく構築し直したのです。また部署の予算の振り分けといったすぐに着手しなければならない重要課題もあります。
ある巨大組織では本社の官僚的で不要なサポート機能を廃止しようとしていたが、業務によっては要求を基に必要性が生じる場合もあります。なので、自分の状況に置き換えて考えることです。もちろん、私が言っていることはかなり単純化しているものです。また、組織のマインドセットや文化も同じくらい重要なものなので、それについては次回のビデオで話します。

 

意識、文化、システム、どれに重点をおくべきか?

前回、自主経営の基本5プロセスを実施すれば9割がた自主経営に向かっているだろう、と話しましたが、それはシステムを変えるために必要な要素であって、組織変化はシステムの変更だけでは実現しません。マインドセットやカルチャーも同じくらい重要な側面です。以前にも話したので深くは触れませんが、変化を起こす4つの柱があって、この4つは並行して進化する必要があります。その4つとは「意見やものの見方(mindset & beliefs)」、「行動(behavior)」、「文化、慣習(culture)」、そして構造やプロセスといった「システム」です。機械的なヒエラルキー組織から有機的な自主経営に切り替えるには、リーダーを含め全員の「マインドセット」が切り替わる必要があり、それなしでは5つの基本プロセスもうまくいきません。

またマインドが正しく切り替わっていても、行動が伴っていなければ、例えば自主経営という意識を持っていても部下が承認を求めればついつい承認する、あるいは問題が起これば従来と同じく自分で立ち入って対処してしまう、というようなことを続けていれば、組織は変化しません。あるいは、組織に深く根付いた不信感があれば、自主経営に切り替えましょうと言ってみても、社員は信用しません。まずは組織のカルチャーを良くする必要があります。

組織のリーダーと話していると、自主経営をうまく掴んでいるように思えますが、どうも切り替えには苦労することも多いようです。前回話した5つのプロセスを使ってシステムを改善することが、他の3つの側面での変化を促すことにもなります。例えば意識が完全に切り替わっていなくても、アドバイスプロセスといった新たな仕組みを利用していくことで意識が徐々に形成されるでしょう。

他のコーチやコンサルタントから「企業が自主経営に変わろうとして相談してきても、実は本腰で考えておらず、社員のモチベーションや業績を挙げる手っ取り早いやり方のように捉えているようだ」と聞くことがあります。そういった相談は私にはあまりくることがないのですが、多分それは私が面倒くさいことを言ったり、質問をたくさん投げかけるからでしょう!

私は、単に5つのプロセスなどを話すのではなく、リーダーと一緒になって根付いた意識や行動やカルチャーの問題点を見つけ出そうとします。組織に根付いている階級などをトップに見てもらい、彼らが必要性を感じるよう後押しします。トップと社員を交えてオープンな話し合いの場を持てば、それもカルチャーを変えるきっかけになります。ボランティアを募り、アドバイスプロセスを使って社員を巻き込みながら、新しいやり方を浸透させることでカルチャーが変化していくのを感じることができるでしょう。

フランスのある工業組織がFab Labを設置して良い効果を生んでいるそうです。Fab Labというのは、工作機械を備えたワークショップです。これでいろんな担当者がチームを組んで試作品を作り、全体に発表して一番優れた試作品に投票するといったことをしています。これはイノベーティブなアイデアや製品を開発するのにいい手法ですが、それだけでなく、企業風土を変えるのにとてもいいやり方です。特に、これまでトップに立っていた者も、そうでないものも関係なくチームとなり、お互いの知見や技術を活かしながら、築きあがってしまった旧組織のヒエラルキーを壊すのです。4つの柱を念頭に置きながら、どこから行動を起こしていけばいいか考え、システムや行動や風土を切り替えていくことが大切です。

 

支配的企業風土:システムを変えるだけでは不十分

自主経営の目標は組織全員を平等にすることである、というのは誤解だと以前話しました。廃止したいのは支配的なやり方であって、自然にできる階級のことではないと。皆が等しく同じ力を持つということでなく、個々の力を最大限に発揮できる組織にすることが目標であるということです。また、一人一人が行動を起こすべきと感じた時に必要な行動を起こせる仕組みが組織にあるということです。根底から仕組みを覆すことになります。

個が最大限に活かされるには、システムを切り替えるだけでは不十分であることに気付くでしょう。支配的な風土が染みついていて、自主経営に変えた後も消えていないことがあります。例を挙げます。私は中級階級の白人男性であって、これまで私が何か言えば誰かが耳を傾けてくれた環境で育ってきました。もし私が女で、白人でなく、労働者階級の中で育ってきたなら、また違う経験をしてきたでしょう。女だったなら、イニシアティブを起こしても受け入れてもらえないかもしれない。同じことを言っても、女性である自分と男性である誰かでは周りの受け取られ方が違う。ある女性が「自分にとってすごく大切なことがあったので、男性とこっそり手を組んで、その人から話してもらった」と明かしてくれましたが、とても衝撃的でした。

このように、それぞれ環境の違いがあるので、自分の意見は相手にされないと思っている人もいます。新しいやり方を取り入れるにあたって、この根付いた観念には注意する必要があります。いくら誰かがアドバイスプロセスを使って何か提案しても、女だからとか、白人じゃないから、とかいった理由でアドバイスの質が変わってしまったらどうでしょう。Simon Montという人が書いた記事で、ホラクラシーを強く批判しているものがあります。

「根底にあるカルチャーを考慮していない」という彼の意見はもっともです。私たちは企業の制度や仕事のやり方を変えることに注力しますが、はびこってしまった圧力みたいなものは簡単に変えられません。そこで私は、新しいやり方に切り替える初期段階で、そういう類の本質的な話し合いをするべきだと思います。性別、人種、経済的な違い、障害などがどう邪魔していて、どうしたらもっと個々が力を発揮できる組織にできるかを。難しい話題でもあるので、外部からファシリテーターを呼ぶこともいいでしょう。私のような白人中流階級男性タイプにはこのような話し合いは良い経験になると思います。自分がこれまで気づかなかったことがたくさん出てくるでしょう。

またそれによって何が起こるか。不必要に意識しすぎてしまうという事態に陥ることもあります。「相手の話をついつい遮ってしまった。相手が女だから無意識にそうしてしまったのか?熱中していただけなのか?相手が男でも遮っていたか?。誰であろうと遮ってはいけないのか?」等々、ごちゃごちゃ考えてしまう。それがしばらく続くかもしれません。悪いことでもないと思います。女もマイノリティも変わらずいるわけで、少しくらい混乱の期間に陥っても別にいいでしょう。でもその混乱がいつまでも続いているのもよくありません。

こういう風に考えたらどうでしょうか。紛れもない事実が二つあります。一つは、みなそれぞれに違う、特別の存在であるということ。私はフレデリックという唯一無二の人間で、中流白人男性というカテゴリーで単純化することはできません。しかし、また一方で、特定のカテゴリーの中で育ってきたことも事実です。それによって特定の既成概念が形成される。どちらも同様にある真実です。そこで、この二つのことを話し合える場を取り入れていきましょう。決して裁かない態度が必要です。誰であろうとも、決めつけず、批判せず、理解することを心がけましょう。それによって、自主経営の下、個々が真に力を発揮できるという理想に近づいていけるはずです。

自主経営で組織構造はどう変わるのか?

ピラミッド型の組織を壊した後、組織構造が変わるのかまだあまり話していませんね。小さい試験的な変化から始める組織もあります。あるフランスの交通関係の会社では人事のトップが改革に乗り出すために突然抜けて、そのまま残った人事部門が自主経営的に回り出した例もあります。また工場現場でもそういうことがあります。これらは構造改革をあまり伴わない例です。ただ、大きな規模で自主経営を始めていくと、根本的な構造改革が必要になるでしょう。ここでは3つの必要な改革について話したいと思います。

一つは、たいてい、従来型の細分化された組織から機能が部門間にまたがる(cross-functional)構造に変わることです。これまで部門の役割は明確に分かれていて、上層でようやく統合的に機能していたものが、自主経営では小さな独立した組織がそれぞれクライエントを担当するので、ユニットが業種をまたいで構成されることになります。ビュートゾルフやFAVIの例を考えてみてください。こうすることで、以前とは違う、全体像の見える環境でチームが業務にあたることになります。

学校でも同じことが言えます。組織としての学校運営は科目ごとでまとまっていますが、自主経営に切り替える学校が増えています。そうすると、大きな学校は小さな学校の集まりのような仕組みになります。本でも紹介したベルリンのある学校では、3つのクラスを6人の教師が一つのユニットとして担当し、生徒の指導や保護者とのコミュニケーションを含め、チームの管理下にある全ての役割を共同で果たします。

業務や業界によってはそういった、一つのユニットがまとまっていろいろな仕事を担当することが性質上、適さない場合もあります。タイヤのMichelin社も自主経営に切り替えていますが、彼らの運営はこのような場合と考えられます。それでも、部門下に様々なサポート業務を組み入れるといった改革をすることによって、チームごとのオーナーシップが以前よりも高まったようです。

二つめは、分厚くなった中間管理層の不要な機能をなくすことです。これまで、一人当たりが抱えられる部下の数には限りがあるといった理由で管理ポストが必然的に増えたり、店舗マネージャー、地域管理マネージャー、地方統括マネージャー、というように管理層が自然と厚くなってきたわけですが、自主経営下で店舗ごとがうまく機能していけば、こういった中間管理ポストの多くは不要になります。また、このような仕事に就いていた者は、新たに創造的な仕事をする立場に立てるわけです。ビュートゾルフには管理階層はなく、コーチが50人ほどアドバイザーとして置かれていますが、チームは主体的に機能しています。このように、マネージャーが担っている仕事の多くはチームの仕事として組み込むことができるはずです。

三つめは、サポート機能です。Michelinの例では、多くのサポート機能をチーム業務に組み入れました。どのようにそういった機能を実行するかというと、有志で人事やマーケティングやデザインといいた機能のタスクフォースを形成します。そこから、ある機能を専門的に担当する者が必要になれば、それを担う新たな人材をタスクフォースとして雇うのです。また、新しい機能が必要になればそれを加えます。新しく来た者は、タスクフォースと連携して仕事するので、効率よく着手できます。このように有志のタスクフォースの役割はとても有効です。
以上、サイロ化した組織を自主経営組織に変えるために必要な3つの構造シフトについてお話しました。

 

ティール型にすることで規模の経済は失われるのか?

前回、サポート機能をチーム業務に組み入れる話をしました。人事や調達やメンテナンスといった仕事を本社ではなくチームが担うことは、オーナーシップの醸成にとって重要です。一方で、そのことが規模の経済やシナジーを喪失することに繋がりはしないか?という疑問が湧きます。それぞれが自分の役割を担うことになって、中心でそれをまとめるような機能がなければ、重複などの無駄が生まれ、経済効率が下がるのではないか?

規模の経済という概念は、従来の組織に深く根づいています。「規模の経済」は算定しやすいものです。この機能を本部にまとめれば費用を20%抑えられ、効率も上がる、といった考え方をすることがよくあります。現実には、そのような算定された効率を得られることは滅多にありません。むしろ、結果的により高くついたり、業務スピードが落ちたりします。

ある病院と話していて、政治的な理由からコストカットを避けられず、機能を集約することになったと聞きました。こういった機能の集約はたいてい費用の増加や質の低下を招くことがありまして、実際、後日聞いたところ、懸念していたことになっていました。このように、規模の経済は楽観的に計上され、またその結果被ったモチベーション低下の損失は考慮されません。

自主経営では個々が規模の経済やシナジーを追求するというのが原則です。もしチームが正しく機能していて、権限があり、自主的に仕事を遂行できる環境ができていたら積極的にそうするはずです。モーニングスターの例を本で挙げましたが、チーム間で自主的にやり取りして調達効率を高めています。

こういったことは会社間でも行われます。ファッション関係の会社が14集まっているグループ企業があり、やり取りをしながら運営効率を高めています。それを、上が外部からそういった調整役を雇って効率をあげようとしてもうまくはいきません。チーム同士が話し合ってそのような調整役を雇うか決める必要があります。そうすることで実際にシナジーが起こる集約だけが実践されるはずです。FAVI社でもあるエンジニアがチーム間の調整役を担っていた例がありますが、彼の役割は実際に意味がある場合にのみ必要とされるわけです。

モチベーションを低下させることなくシナジーを創出できる組織にすることが大切です。それにはチームの主体性が必須であり、そのためにはチームの高いオーナーシップと業務効率が見える化できていることが必要なのです。

経営チームはティール組織に必要か?

自主経営組織では、トップにチームがいることもいないこともあり、面白いところです。自主経営でトップという考え方が適切でないことはもうお分かりかと思いますが、広義でのトップ機能を担うチームは存在するでしょう。つまり、販売やマーケティングや製造といった機能が集まって共に仕事をする状況です。例えば約200人の小さな製造会社ではセールスやマーケティングやエンジニアといったチームから代表が選出されて全体的な、いわゆるトップチームを構成します。工場でも学校でもこのようなことはあります。

では、そのような代表が集うトップチームは必要でしょうか?そのようなチームが定期的に会合する必要があるでしょうか?必ずしも自主経営の考え方からずれるわけではなく、階級的で支配的なやり方さえなければ、このような選出チームが全体的なテーマを話し合うことは当然あり得ます。つまり、業務から生じる必然的な層であって権力の層ではありません。

一方、トップにチームを置くのは単に、なんとなくそうした方がいい気がするだけ、ということがあります。たしかに組織全般にかかる話し合いは必要です。では、そういった全体的なことを、常に同じメンバーが話し合うべきことでしょうか?私が思うに、特定の問題に応じて違うメンバーから成るチームが構成される方がいいと考えます。たとえば入社時研修をどう行うか、という問題があったとして、担当したい者たちが集まって話せばいいと思うのです。ファイナンスならこのチームで、といったように得意分野や興味、やる気に合わせてチームを形成することで、より多くの人を巻き込み、個を活かせると思います。

このやり方には良い点、悪い点があるのでその話をしましょう。まず良い点は4つあると思います。一つは仕事を“不要につくる”ことを避けられます。どういうことかというと、決まったメンバーが定期的に会うと、何か新たな仕事を生み出さないといけないような感覚になります。しかし、それらは必要があってできた仕事でないことが多いのです。二つめに、同じメンバーが定期的に会うことで、自然とそのチームが担う仕事が生まれ、慣れ親しんだ階級が再び芽を出してしまう恐れを防ぐことができます。三つめは、いろいろなチームが形成されることで集団としての知恵(collective intelligence)をより良く活かすことができます。4つめに、そのようにダイナミックなやり方を取り入れることで、組織の人間関係が多様化し、ネットワークが深まります。

さて、決まったチームがトップ機能を担わないことのデメリットは少なくとも二つ挙げられます。一つはチーム構成が毎回変わることによる非効率性です。そして二つめは、継続性の問題です。定まらないチームでは安定した議論を持つことは難しいでしょう。

以上、メリットとデメリットを話しましたが、トップに定まったチームをおかず、必要に応じてチームを形成することにより得られるメリットはデメリットを上回ると私は思っています。是非、あなたの状況に照らし合わせて、特定のチームがトップに必要か、なくてもいいのか考えてみてください。ある組織ではエグゼクティブ層が解体する際、そのメンバーで集まって話し合い、当面必要と思われる部分だけはエグゼクティブチームが引き続き話し合っていくことに決めたようです。ただし、そこで決定することはせず、アドバイスプロセスを使って最終決定をすることに決めました。最終的に上述のスタイルにする移行するプロセスの例として参考になると思います。

 

自主経営化の途上に経験する二種類の苦痛について

自主経営への移行は権利の公平な分配など好ましいものであるため、始めるにあたって苦痛に関してあまり考えを巡らせることはないかもしれません。先日、友人と話していて「痛みなくして自主経営化はあり得ない、と学んだ」と彼が言いましたが、その通りだと思います。

痛みには二つあって区別するべきだと思います。友人が意味したのはいわゆる「成長に伴う痛み」です。組織がより良いものへ変化する際に生じる苦労です。例を挙げると、従来では従業員、特にピラミッドの底辺の者は多くの場合、ひどい扱われ方をされているので、「出しゃばらない方がいい」という考えになっていて、言われることを黙ってやり、気に入らない点は他人のせいにするというスタイルが身についています。それぞれに力を持って仕事にあたってもらうようになるまでには深遠なる道のりがあって、最終的にはその苦労が報われるわけですが、とにかく私たちが想定する以上に大変なことです。

ある人にとってはマネジメントするようなことは初めての経験で、またこれまで育ってきた環境からするとあり得ない変化であり、自分のアイデンティティにも影響してきます。また自主経営という考え方自体が目新しすぎてオロオロする人もいるでしょう。そういう人たちが変化に心地よく順応していけるような場を作り上げていくのはとても大切なことです。

一つのやり方としては、それぞれに抱える変化への苦労を打ち明けることです。コーチなどがうまく導いてくれるでしょうが、困惑している人たちが自分からコーチを頼ってくることはあまりないわけで、別のやり方としては、グループでよく話し合うことです。以前は管理的な立場にあった者も交えてみなで話し合うことで、変化に順応するのに苦労しているのは自分だけではないことに安堵したり、また変化を受け入れ始めてうまくやっているような人から学ぶことも大いにあるでしょう。このように、成長の苦労を軽減するのに自分にできることは何か?考えることをおすすめします。

もう一つの痛みは、「避けられる痛み」です。他にいい言い方が思いつきませんでした。それは、移行プロセスをもっとうまくやれば経験せずにすむ苦労ということです。もちろん、どんな移行プロセスも完璧ではないので、避けられる苦労であっても避けられないことは多々あります。それらを予期できるかできないかということでなく、何か思いがけない苦労が生じた場合にどうそれに素早く対処するか、ということが大切です。簡単な例として、これまであった組織の細かな規則を不要なものを見直して新しいルールを設定していく中で、新しいルールが全体に明確に理解されていないような状況が挙げられます。新しいやり方を導入する前に入念にそれを理解してもらうことで混乱は防ぐことができます。

他には、例えば組織変化を早く進めすぎたり逆に遅すぎたりすることによる苦労があります。新しいものを早く導入しすぎて社員が追いつけなかったり、あるいは慎重になりすぎて、やり方が変わることは皆わかっているが、いつまで経っても具体的なタイムラインが見えてこないために落ち着かない、といったことです。これらはうまくやれば避けられる問題です。

今回伝えたいポイントは、組織を変化していくにあたって経験している苦労が成長するが故のものなのか、それとも避けられる問題なのかを見極めて欲しいということです。成長痛であれば、それを減らすためにできることはないか話し合うといいでしょう。避けられる苦労については、問題が生じたら即座に自己修正するよう行動しましょう。もっと深いことを言えば、生じる痛みを受け止め、何ができるかを考えることです。誰でも苦労は嫌で、できれば避けたいものですが、そうやって見ないふりをしているうちに痛みは増えていきます。リーダーの立場にあった者として、変化の途上に見えてくる「苦労」をどう捉えて対処していきますか?あなた自身の力量が試されている時でもあります。必要であれば、外部のコーチなどに相談するのもいいでしょう。

ホラクラシーやソシオクラシーなど既存モデルの導入

組織を自主経営に切り替えるにあたって、自分なりの自主経営手法を確立していくか、既存のやり方を取り入れていくか、という基本的な選択肢を迫られるかと思います。私が思うに、スピードと抵抗(resistance)のバランスで決めればいいと思います。既存のやり方を持ってくれば手っ取り早いですが、社内から抵抗が生じることも考えられます。既にあるやり方を導入するということは実験的な段階を飛ばすため、社員が新しいやり方に徐々に慣れる時間が減るわけです。「組織が変化できる状態にあるか?」と問うてみてください。

既に自主経営に切り替える準備が整っている段階の組織もあるでしょう。そういう状況であれば、既存のやり方を導入すれば、効率的に移行プロセスを進めることができます。そうでなければ、反発されるでしょう。自主経営にあたり、コーチが様々な準備事項を行ってきたのでうまくいくと判断し、ホラクラシーを導入したところ、とても良く機能したという前例もあります。またバスク諸国で行われているような、投票によって自主経営への意欲を測るやり方もあります。

組織としてまだ十分にその段階にない場合、反発が起きてしまいます。その考えが馴染んでなければ、ある日職場に行ってそんなことを言われても、また何か上が新しい余計なことをやろうとしている、とため息をつくことになります。そして、とりあえずよくわからないが、言われるやり方を取り入れて実践する、ということになってしまってこれらのツールが持つ本来の目的が果たせないことになります。ですから組織の状態を考える必要があります。

また、これはどっちを選ぶか、という質問でもありません。実際にはその二つをうまく組み合わせながら進めていくことになります。独自のやり方で進めていって、適当と判断したら既存のやり方を導入したり、逆に既存のやり方で始めてある段階でどうもこの組織には合わなくなってきたので独自のやり方に変えよう、ということもあるでしょう。

もう一つ考えるべき点としては、組織に独自のやり方を作り上げていく意欲や力があるか?です。組織によっては、自主経営のやり方を学び、自分たちなりのやり方を創り上げていくことに意欲的なところもあれば、組織目的を達成するための、体質を変える一つのツールである、と考えてる組織もあるでしょう。後者の場合は既存のツールや外部コーチ、コンサルタントを活用して組織変化を起こすでしょう。このように、まずは組織が移行できる状態にあるか、そして、独自のやり方を開発する状況にあるか、それとも外部リソースを活用するべきか、考えてみてください。

また、常にあなたの考えに偏りがないか注意してください。自分では独自のものを実践したいと思っていても、組織として外部から既存モデルを用いた方が適当なこともあります。あるいは自分としては手っ取り早く切り替えていきたいが組織としてその段階にない場合もあります。自分には独自のやり方でやっていく力はないと思っても、社内にそれができるリソースがある場合もあります。自分だけの考えで進めないようにしてください。

ソシオクラシーやホラクラシーという、よく知られている二つのモデルについて考えましょう。ソシオクラシーはもっと漠然としたことなので少し難しいですが、たとえばソシオクラシー3.0ではフレームワークからパターンを選択し組織に適用するやり方で、それについてたとえば組織に最適なパターンの選択などをトレーナーに任せるのはおすすめしません。

ホラクラシーは少し異なります。一つのシステムとして明確なやり方があり、面白いことに好き嫌いが両極端に分かれます。嫌いという人はたいてい、あまりよく理解しないままに実践した人が多いように思います。ホラクラシーが自分の組織に合ったやり方かを判断する際に考えてみて欲しいことがあります。まず、ホラクラシーは一つのシステム化したツールであって、それをある意味、トップダウン的に導入することになります。いったん組織に適用されれば、非常にフレキシブルなやり方で、独自に進化させていくことが可能ですが、最初はトップダウン式になるのは事実で、それゆえ、反発もあるでしょう。むろん、試験的に組織の一部で導入してうまくいけば拡大する方法や、投票して決める方法など導入にあたってできることはいろいろありますが、厳密にはリーダーが決める、ある意味矛盾した独断が必要です。

ホラクラシーは他のどんなシステムにも言えることですが、創った者の考え方を反映しています。ホラクラシーを提唱したBrian Robertsonは、とかくはっきりさせることを重視している人で、ホラクラシーにはその考えが根底にあります。ホラクラシーではやり方が明確に設定されています。そういったカルチャーの組織であれば、とてもうまくいくでしょう。一方で、ホラクラシーがどういったシステムなのか学ぶのに大きな苦労を伴うのも事実です。組織によっては、それが性質に合わないこともあるわけです。Buurtzorgみたいな組織には合わないと思うし、一方で例えばIT会社でそういったカルチャーが既にある、というような場合は馴染むやり方でしょう。自分の組織に照らし合わせて考えてみてください。

また学びの段階が大きいために、必然的に社員が組織の変化に意識を取られるという事態が生じてきます。そうなると社外対応が手薄になるリスクもあります。ホラクラシーでは特にそうなるリスクはあるので注意が必要です。もう一点、ホラクラシーは「オペレーティングシステム」という面において非常に細かくやり方が定められています。一方、パフォーマンス評価や人材採用などに関しては特定のやり方を定めていません。ですので、自主経営への切り替えにホラクラシーを導入しようとしているのであれば、この点は留意すべきです。

最後に、ホラクラシーは「組織スペース」だけを対象としたものであって、個々のパーソナルな面や対人については触れていません。よく耳にするのが、ホラクラシーにおいて組織のやり方など学ぶ面は多いが、人間的な部分があまりなく、どうも機械的な考えになってしまうという話です。ホラクラシー自体にそのような意図は当然ないわけで、組織の人情的なものを維持しながらホラクラシーを取り入れればいいだけなのですが、それを忘れがちになる可能性があります。また、ホラクラシーのコーチングはいろいろありますが、内面の葛藤などはそこまでカバーされません。

既存のモデルを導入する際の判断の参考になればと思います。繰り返しになりますが、自分の組織の状況を鑑みて独自のやり方を開発していくのか既存のモデルを利用するのがベストか考えてください。

 

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