自主経営の誤解

自主経営に関する多くの勘違いについて【フレデリックラルー氏動画④要約】

「自主経営に関する多くの勘違いについて」と題して、「ティール組織」著者のフレデリックラルー氏による動画の要約をお届けします。

フレデリックラルー氏は書籍のほかに、100を超える動画を公開してくれています。本記事では、その中の「シリーズ4-1. 自主経営に関する多くの勘違いについて」の要約をご紹介させていただきます。

ぜひご参考にされてください。

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自主経営を持ち出すと途端に様々な誤解が返ってきます。自主経営を理解し実践する長い過程では多くの気づきや再発見が起こるので、最初から不要な誤解は避けたいところです。また自主経営について誤った解釈をしたまま導入に踏み出す企業も少なからず目にしますが、数か月経って誤りに気付き、修正しなければいけないのは大きな痛手です。

自主経営について誤った捉え方がこんなにも存在するのは何故だろう?と考えてしまいます。多分深く根付いてしまった個人的な価値観、育ってきた環境や仕事場での経験などが関連しているのでしょう。それぞれ積み重ねてきた苦労によって、従来のやり方に対して「面白いものじゃないけど、ないよりはある方がマシ」と思ってしまっているわけです。従来以外のやり方では自分勝手な人や怠け者が溢れてカオスになってしまうと思っているので、「従来のやり方の方が馴染んでるし、それでいこうよ」という反応になるわけです。

1960年や1970年代には古い権力支配への最初の抵抗が生まれました。当時は古いやり方をただ廃止し、実際に大きな混乱が起きたのです。自主経営は単に古いやり方を止めるだけでなく新しい仕組みで置き換えることだと理解されていなかったんですね。その結果、1960年、1970年代の経験は「階級的なやり方は好きじゃないが、とりあえず機能するしそれ以外の選択肢よりはマシだから」という考えをより強固なものにしてしまった。

自主経営についての誤解は一つではなく、たくさんあるのです。今後、6回にわたり「自主経営に関する6つの重大な誤解」をお話していこうと思います。なぜ一つずつ取り上げて丁寧に解説していきたいかと言うと、自主経営に移行する初期段階においては、この陥りやすい誤解について話し合いを重ねることが重要だからです。社内で自主経営という言葉を出した途端、間違いなく、それぞれ十人十色、誤ったイメージを頭に浮かべて切り返してくることでしょう。ですから、それに対して、何が自主経営で何がそうでないかを辛抱強く繰り返し話していくことが大切です。ポスターを作ったり会議で定期的に持ち出したり、皆を巻き込んで話し合うことです。そうすることで理解も深まり、出だしから見当外れな方向に舵をきって進み、しばらくして修正を強いられるような痛い失敗も避けられるでしょう。

 

誤解1:自主経営はリスキーである

自主経営に興味はあるけど、なんだかリスキーな気がする。と思っていますか?たしかに聞きなれないし、よくわからないし、前例もあまりないし、と不安になるかもしれません。が、リスキーでもなければ新しい概念でもなく、試験的な試みでもないのです。本で触れた企業の事例は1970年代に始まったものなので、彼らにはかれこれ50年の経験があります。WL Gore社は1958年に自主経営で始まったし、フランスのFAVI社は1983年に自主経営に切り替えています。そういった組織は幾つもあり、幾度の不景気の波を乗り越えながら生き延びてきました。ですので、前例がないというのは大きな間違いです。会社以外では、軍隊の特別ユニットなど、それこそずっと自主経営でやってきています。General McChrystal氏の“Team of Teams”に詳しく書かれています。また“Alcoholics Anonymous”のような団体は1930年代に設立されて今や180万人から成る10万を超えるグループが自主経営によって組織しています。

興味があればArt Kleiner氏の“The Age of Heretics”を読んでもらいたいです。過去に自主経営を導入し成功した事例がまとめられています。この頃はある期間うまく自主経営できても従来のマネジメントに切り替えられればそのやり方に戻っていたわけですが、それでも成功事例としては多く存在します。

業界によってはたしかに新しい概念かもしれませんし、事例も少ないのは事実です。あなたの業界では前例がなく、あなたの組織がパイオニアになるのかもしれませんが、セルフマネジメントの知識や経験は蓄積されています。その本質だけでなく、具体的な事例から組織決定や対立の際の対処、パフォーマンス評価のやり方など、学べる対象は多くあるのです。もちろん、過去の事例をそっくりコピーすることがゴールではないけれども、数ある実例を無視するのは勿体ないことです。自主経営組織はまだ少数派で従来のスタイルが主流ですが、だからといってそれが新しい、試験的な概念ではないことはわかるでしょう。馴染みのない人にとっては新しく、無謀なことに感じられるかもしれませんが。

古いやり方を廃止し、新しいやり方で置き換えなかったら、当然混乱を起こし失敗しますが、正しく切り替えれば、ほぼ確実に良い結果をもたらしていることは前例からわかっていますし、当然と言えば当然です。トップダウンでなく、決定権が与えられれば、もっと良い決断、早い決断、決断が増えて皆やる気が向上するので、良い結果は生まれます。無茶苦茶でリスキーなものであると思わずに、本を読んだり足を運んだりしてセルフマネジメントについてもっと感覚を掴むことをおすすめします。私などは、従来のやり方の方がインテグリティやメンタル面でリスキーなやり方だと思っています。

 

誤解2:構造やプロセスやルールがなくなってしまう

これはもう常日頃出くわす誤解です。また単に誤解であるだけでなく、この誤解は落とし穴でもあります。誤解すれば大きな痛手を負いかねないので注意してください。

「セルフマネジメントには構造もプロセスもルールも存在しない」というのは間違った解釈です。

従来の組織構造もプロセスもルールも理解に苦しむものなので廃止してしまおう、と誰しもが思っています。セルフマネジメントの導入を構造、プロセス、ルールの廃止、と捉えると悲劇的な結果を生みます。古いものを壊すのですから、新しいもので置き換えないと混乱が生じます。皆どうしていいかわからなくなり、しまいには元のやり方に戻るという悲しいことになります。はっきりさせておきますが、自主経営にも決まった構造、プロセス、ルールがあります。数は少ないかもしれませんが、そもそもこれらの要素はどんな生命体にも不可欠です。例えばBuurtzorgというオランダのホームケア団体では14000人の看護師が従事していますが、全員、構造やルールに沿って動いています。

構造やプロセスやルールの中身が従来と大きく異なるということです。権力がトップの少数に集約されているのではなく、全員が決定権を持ち得るのです。また、変化の少ない(static)構造から、有機的で現場や環境の変化に応じて対処できるようになります。

プロセスについても、従来はどこかの誰かが決めたルールを均一に適用され、意味をなさない現場もあったりするわけですが、それを状況により適した対処を導入できるプロセスに変えます。事業によってプロセスの性質は当然変わります。Buurtzorgのように細かい取り決めがなくても機能する組織もあれば、ケチャップを製造するモーニングスターのように細かいプロセスが統一的に適用されなければならない事業もあるわけです。ただ、どんな事業プロセスにおいても一方的に課されるプロセスでなく、それぞれの現場で適したプロセスをデザインできるわけです。

ルールについても同じです。組織決定のルールや対立が起こった際の対処の仕方などにおいて決まったやり方があるという点では従来と変わりません。違うのは、トップから課されるルールでなく、より適したルールをそれぞれが提案していけるシステムです。存在するルールの性質が違う、ということがわかっていただけたと思います。

時々、セルフマネジメントを導入した結果、好ましくない反応が社員から出ていると相談を受けたりします。セルフマネジメントをはき違えて、「あなたの言うことは聞かない、私は私のしたいようにやる」という言う人が出るみたいですが、私ならこう返します。「私はあなたの上司ではないので命令はできないが、組織のルールはルールとして守ってプレーするのが前提じゃないですか?今のルールが嫌なら新しいルールを提案してもらっていいし、それが適用されるまではこのルールでこの組織は動いている。」

繰り返しますが、セルフマネジメントにも構造やプロセスやルールがあり、その性質が従来とは異なっているということです。どうか誤った考えで進んで失敗しないよう注意してください。

 

誤解3:トップダウン経営は終わり

「セルフマネジメントに切り替えた途端、トップが組織を率いるのをやめてしまった」と相談を受けることがあります。従来のやり方ではトップが全て決めていたところを、ボトムアップ式に切り替えたのだから、一見、適切な変化に感じられます。

これもまた大きな誤解です。なぜかと言うと、そこにはまだトップとボトムという階級的な見方があるからです。セルフマネジメントにはヒエラルキーの概念がないので、皆が同じように決定権を持ち、同じ決定プロセスに従って組織決定がされます。従来のやり方だと組織の底辺にいる人は決定権がほとんどありません。上司に提案してもそれが組織構造の上へ上へと上がるうちに提案者は決定プロセスから外されるか、あるいは状況が変わってしまう。だから底辺の者は決定権がないものと理解し、提案さえしなくなります。新しいシステムはそこを大きく変えるので、トップとかボトムといった概念に意味がないのです。

代わりに、決定事項を特定(specific)と全体(broad)に分けて考えるべきです。組織のある者はより特化した、例えば機械オペレーションといった専門的な業務に従事し、ある者は組織全体の戦略など、全体的な業務に従事しています。どんな組織にも両方のタイプが必要です。

古い体制で決定権を握っていたトップが、体制が変わったからと言って突然消えてしまえば、これまでその全体的な仕事を担っていた人間がいなくなります。長期的な視点で考えれば、そういった仕事の幾つかは不要になるかもしれないし、特化した業務でも新たな問題が出てきてもっと全体的な役割も必要とわかり、イニシアティブをとる人も出てくるでしょう。しかし、新しいやり方が浸透し皆が適応する過程を経るのには時間がかかります。ですから、初期段階は引き続き同じトップが全体の決定を担うなどして徐々に変わる必要があります。

全体的な役を担う人間が突然いなくなれば、組織の誰にとっても損です。こういった状況に陥ったリーダーから相談を受けた際、「あなたの力を発揮できていなくて勿体ないですね?」と尋ねたら、彼らは大きく頷き、葛藤を明かしてくれました。特定の業務にあたっている人たちも同じです。「上からの指示が急になくなって何か動かないといけない気はするけど、どうしていいか、どこに向かうべきか、よくわからない」と思っているでしょう。

ある意味、愚かなことだと思います。これまでリーダーを担ってきた者は、これからの組織のやり方に関してロールモデルとなれるわけです。これまで特定の業務にあたってきた者にとって、たとえばアドバイスプロセスがどういったものか、ロールモデルがいなければわからないのです。旧リーダーたちは率先して組織改善の新しい提案を、トップダウン的な以前のやり方ではなく、アドバイスプロセスなどの新しいやり方を使って見せてあげればいいのです。それによって新たに決定権を持った者は、行動を起こすイメージが湧きます。

今リーダー的な立場にいる人たちは、変わらず決定する力を持っていることを忘れないでください。組織の他の者と同等の立場でそれを行う、というだけのことです。組織はあなた方のような経験豊富な、貴重なインプットを変わらず必要としているのです。旧リーダーにとって新しいやり方は何を意味するでしょうか?少なくとも三点挙げられると思います。一つに、「このような決定を下そうとしているのですが、承認していただけますか?」とやってくる者には、承認がもう不要だということを事あるごとに伝えます。

そして、突き放すのではなく、新しい組織決定の手順、アドバイスプロセスであればそれを、わかりやすく伝え、指導してあげるのもいいでしょう。この決断なら誰の知恵を借りれば心強いか、この決断は誰に影響を及ぼすのか、それをどのように共有すればいいのか、チームの立場に立って考え、それを伝えるのです。その際、それが指示ではなく助言であり、どの決断が最善かは皆で決めることであると伝えてください。二つ目に、組織にはミーティングなど決定を下すための場があります。古いやり方に組み込まれた習慣なので、それを解体し、新たな組織決定ができるよう働きかけてください。そして三つ目に、皆と同様、旧リーダーも、組織を改善する必要性を感じた時には積極的に新しいやり方を使って行動を起こし、お手本を見せてください。そうすることで周りも新しいやり方を理解していくでしょう。

誤解4:自主経営の組織においては皆、平等である

「セルフマネジメントな組織においては皆、平等である」というのをよく耳にします。フラットで水平な組織形態がセルフマネジメントである、と。少し混同してるように思えるし、ここをきっちり掴んでおくことが大切な気がします。自主経営の原理は、根本的な価値の平等性です。一方、組織での役割や貢献には大きな違いがあります。

どういうことかというと、根本的に人間は一人一人かけがえのない存在で、どんな役がありどんな貢献をしていようと、同じように大切で尊厳があります。ですからカースト制度みたいな不平等なものはなく、皆同じルールで等しく行動を起こす権利があるのです。

一方、役割や貢献の違いというのは、みなそれぞれに違う専門性、活力、知識があり、違う形で組織に貢献しているということです。そういう意味で、みな同じではなく、目指すのは個々を最大限に活かすことです。ある人は特化したスキルを持ち、またある人は計画を立てるのが得意である、といった具合です。

支配階層と自然に生まれる階層は別のものであって混同してはいけません。本来あるべきじゃないのは支配階層であって、自然にできる層はむしろ好ましいものです。支配的な組織がセルフマネジメントに移行し、不要な階層を解いた時にしばしば現れるのは、自然な層です。これまで組織に埋もれていた才能や行動力や熱意が表に出てきます。ですから、平等にすべきなのは価値であって、役割や貢献を平等にするのが目的ではありません。平等にすると言って、上の力のある人たちをクビにして、やりたいとも言っていない者に新しいことを無理やりやらさせる、といったことをやろうとしているのではないでしょう。

例えば自主経営に変わって、新しい機械の導入を任された人がいるとしましょう。これまではそういった裁量を任されることがない経営だったから、その人にとっては大いにやりがいのあることです。でもここで、やる気も素質もないような担当者なら無理やり任せる必要はないわけです。それが得意でやりたいという人がいればその人がやったっていいわけです。誰しもが無理やり押し付けられて権力を持つ必要はないのです。それぞれに合った形で力を発揮できるよう組織することが目標であって、ここは明確に区別すべきです。

自然が一番のお手本です。森の中には色や形の違うあらゆる木が生えていて、下の方を見ればキノコやシダが生い茂っている。背の低いキノコやシダのような植物が大きな木に成長することはないわけで、その必要もないことです。キノコにはキノコ、シダにはシダの得意な姿があって、それが失われれば生態系のバランスが崩れるわけです。問うべきなのは、「個々がそれぞれに最大の能力を活かせているか?」という質問じゃないでしょうか?フラットで水平な組織という響きは私は好きではありません。もっとダイナミックな組織が私のイメージです。今回は価値の平等と、それぞれの役割や貢献、という全く別のものについてお話をしました。

誤解5:自主経営をするにはエンパワーメントとサーバントリーダーシップだ

実は、私はエンパワーメントという言葉は好きではありません。またサーバント(奉仕)リーダーシップという概念も好きではありません。従来のピラミッド型組織から見ればこれらの考えは素晴らしいものですね。エンパワーメントやサーバントリーダーシップがそういった組織に取り入れられるのは良いことだと思います。が、エンパワーメントもサーバントリーダーシップも自主経営の本髄ではありません。

「セルフマネジメントに切り替えてエンパワーメントやサーバントリーダーシップを実践しています」と言ってくる人がいますが、なんか違うと思わずにはいられません。それはセルフマネジメントではないと思うのです。社員をエンパワー(力や能力を与える)しなければいけない、という考えの裏には、上にある権限を下へ少し託そうとしているわけです。自主経営において、権力や権限は与えるものではなくて、それらは組織の末端にまで行き渡っています。システムそのものがそれで成り立っているのです。

サーバントリーダーシップについて考えてみましょう。これも従来からすれば素晴らしい概念です。上の者は組織に属する人々のために奉仕すべきだという考えです。でも、セルフマネジメントの観点からすると、非常に父親風を吹かせた考えに思えます。奉仕をする私のような存在が組織には必要であって、力を振りかざすようなリーダーではなく、「奉仕精神に満ちたリーダー」であるべきだ。どうも自分とその他を線引きしている気がして、私には受け付けられません。

セルフマネジメントでは、「組織の目的」に従事するのであって、組織の人々に奉仕するわけではありません。それぞれに権限があり、アドバイスプロセスなどを通じてアクションを起こせるのですから、誰かが誰かに「仕える」必要はないわけです。もちろん、誰かのためにはなりたいし、誰か具合が悪ければサポートしたいと思いますがね。組織の目的に全員が従事しているということであって、美しいことです。サーバントリーダーシップで言えば、全員が「サーバントリーダー」なわけです。組織の目的に従事(serve)しているのであって、組織の底辺にいる者のために従事しているわけではありません。

エンパワーメントやサーバントリーダーシップのような言葉を使ってセルフマネジメントを表現しているのであれば、もしかしたらセルフマネジメントを真に実践していないといえるかもしれませんし、意識的なところでまだ本当に切り替えられていない可能性があります。移行プロセスの途上なのですから、混同するのは悪いことではありませんが、セルフマネジメントをエンパワーメントやサーバントリーダーシップと捉えることのないよう注意してください。

 

誤解6:ティール組織の経営において、コントロールは悪いことである

 

この誤解はあまりにも広く行き渡ってしまっていて、どんな企業からもほぼ毎回この話題が上がります。リスナーの皆さんにも多かれ少なかれこの点を誤って捉えている人がいると思うので、よく聞いてください。

みなコントロールが悪いことだと思っています。ほとんどの組織は手に負えない(out of control)ものですね。何か問題が起きたとき、あるいは誰かがこれは手に負えなくなりそうだ、と思った時、即座に事態を制御するための施策が用意され、実施され、全員その手順に沿って行動することになります。あまり意味をなさない状況でも一律の対応事項が適応されます。よくカスタマーサービスであるように、「なぜできないんですか?」「申し訳ございません、そのような対応はできないことになっております」というやり取りが繰り広げられます。社内でも理解できないような決まったプロセスがあったりして、どんな小さな決断にも承認が必要だったりと、コントロールは業務を縛ってしまう不愉快なものです。そういった意味で多くの人はコントロールは必要ないから、自主経営に切り替えたら廃止してしまおうと考えます。

しかし、制御すること自体はいいことなのです。考えてみると、生命は常に制御下(in control)にありたいとしています。身体が一定の熱を保っているように、システムでは常にモニタリングされていて、何か異常があれば速やかに対処がされます。組織も同じです。常に制御下に維持しておきたい。自己制御(self-control)、「制御」という言葉が好きじゃない人は自己修正(self-correction)と置き換えてもいいのですが、システムは何か異常があったときには自己修正によって事態を元に戻そうとします。これは非常に重要なトピックなので、今後このテーマでしばらく話そうと思います。今回は、一側面を話します。

制御に関して多くが抱いている誤解は、「コントロールされたくないのでそういった管理システムはやめて、信頼に基づく仕組みに変えよう」というものです。私はこれは正しいし、間違っていると思います。なぜ正しいかというと、信頼はたしかにセルフマネジメントの必須要素だからです。セルフマネジメントでは基本的には組織に属する全員に大きな信頼を置くため、細かいことをいちいち管理する規定は設定されません。ただ、それは基本的に、つまり適切な場合に、という意味です。何か問題のある状況下では当然、制御管理が必要です。つまり、セルフマネジメントは土台に信頼を置きながら、その上でシステムが自己修正できる仕組みを築いているのです。信頼は必要ですが、それだけでは不十分です。

本でも紹介したAESという組織を考えてみましょう。4万人の社員からなる、世界中で発電所を運営している会社です。発電所ですから、業務は厳しく制御下になくてはなりません。そこで、廃止したいのは従来の制御管理のやり方です。本社が全支社を細かく管理していて、どの国の運営であれ、本社が決めたルールに沿ってやらなければならない。もしかしたら規定通りに運営していると報告しながら、実情は現場独自のやり方をしているかもしれませんよ。つまり、今日の管理方法には錯覚した面がある。本社の書面で管理されているとしても、それが現場で本当にされているかは、本社では把握しきれないものです。では、本社の介入なしに、どうやって現場が問題なく運営していけるのでしょうか?

AESでは、有志の専門タスクフォースを形成してリスク管理や監査にあたる制度を導入しました。現場の各ユニットから選出されたメンバーが管理方針や手順を作成するので、本社の誰かが作るよりも緻密な方針や手順が出来上がります。必要であればお互いに内容を監視し合うことで、作成物の質を保証することができます。

企業によっては非常に厳しく管理されていて、管理者がやってきてリスク責任者から書面による遵守保証を要求する場合があります。リスク責任者が存在しないAESのような状況でどうしたらいいでしょうか?シンプルな案として、例えば有志のタスクフォースチームから毎年一名、ランダムに選び、彼がサインするという風にしたらいいと思います。その責任を負う代わりに、昇進を得られる仕組みにするのです。とても有効なやり方だと思います。ランダムに選ばれた人は、同僚がいい加減な仕事をしていたら自分の責任になるので、メンバーを選ぶのにも慎重になるし、しっかりした仕事になるよう動くわけです。

本社のどこの誰とも知らない者から定期的に書面確認が送られてきても、特に信頼関係もないし、遵守意識も薄いわけですが、現場内の者同士ということになれば、お互いを危機に晒すようなことはしないはずです。このやり方は、大きなリスクを伴う業界ではよく使われている手法だと知りました。例えば、飛行機の製造現場では、完成した飛行機のテスト飛行にパイロットとメンテナンスチームからランダムに選ばれた技師が一人同乗するそうです。パイロットは、一人選ぶ際にチーム全体に「何か気になっていることはありますか?」と聞きます。NASAでもチャレンジャーが爆発して以来、同じようなことをするそうです。宇宙飛行士が家族と子供を連れてロケット製造にあたった主要チームの前に立ち、「どんな些細なことでもいいので、気にかかっていることはありますか?」と聞くそうです。このやり方は書面でサインしてもらう方法より遥かに有効なやり方だと聞きました。

何が言いたいかというと、信頼があるからといって、制御メカニズムを完全に廃止することはあり得ないということです。信頼の上で、さらにシステムが自己修正し、正常に動き続けるための仕組みがおかれるわけです。信頼だけで成り立つ状況もあるけれど、そうでないことはたくさんあり、管理施策がないとシステムが自己修正できないわけです。ある中国の企業が「我々は勤務時間を細かく管理するシステムを廃止した!」と誇らしげに連絡してきました。後日、代表が訪れてみると現場に誰一人いなかったそうです。そこで代表は怒り、やはり従業員は信用できないものだと、信頼を置く制度そのものに疑問を抱くようになりました。結局、自主経営の方針は変えずに従業員の勤務を管理する施策を導入したということです。私が思うに、彼が従業員を信用しようと思ったのはいいことですが、この場合は適切なアクションではなかったと思います。

まとめると、コントロール(制御管理)が悪いということではなく、従来の管理メカニズムが良くないということです。人が人を制御しようとするのは不適切なことです。セルフマネジメントが目指すのは、制御という仕組みがシステムに組み込まれていて、何かの事態に適切に自己修正できることです。ちょうど、身体にウイルスが侵入したらそれを排除しようとする働きがあるのと同じように。

 

 

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