「Is there value in reinventing the wheel?(車輪の再発明に価値はあるのか?)」要約
ティール組織の本のためのリサーチを行なっている時に、とても非効率的ですが面白い事実を発見しました。
苦戦しているチーム、車輪を再発明しているチーム、そしてミスを犯している人々には価値があるかもしれないということです。
確かに、人はミスを避けたがるし、もしも苦戦しているチームがいたらより生産的に仕事ができるよう助けてあげる方がいい、という認識が一般的です。
しかし、その考え方はティールに向けた組織変容においては必ずしも正しくないかもしれません。
こういった考え方に出会ったのは、ビュートゾルフ(オランダの有名なティール組織)の事例からです。
ビュートゾルフが2007年に作った最初のチームでは、コーチが手厚すぎるサポートを与えていたため、彼らは仕事において苦戦することがほとんどありませんでした。
しかし同時に、彼らは苦戦からの学びを得ることもなかったのです。
その結果、後にできた新しいチーム、サポートが比較的手薄で仕事において何らかの苦戦を強いられたチームと比べて脆いチームとなってしまいました。
このことから、ビュートゾルフでは40〜50のチームに対してコーチ1人だけを付けることで、チームが苦悩や議論を通じてセルフマネジメントを理解し、チームとしてより一致団結して成長していけるよう仕組みを改善したのです。
もう一つの事例は、タイヤ製造業のミシュランです。
ミシュランは、工場で働く70,000人の製造者をセルフマネジメントチームに変容しようとしました。
彼らが行なったのは、製造チームに原則だけを教え、具体的なやり方は教えないことでした。
そのため、各チームは実験を行なってより良いやり方を開発する必要がありました。
2年間このような実験が数多くの工場で繰り返され、チームはそれぞれ多くを学び、成長していきました。
このように原則だけを教えて、具体的なやり方はチームに考えさせることは、採用のプロセスなどでも使えます。
例えば、スキルだけでなく組織としてのビジョンや目的を共有してくれる人間を採用するという原則だけを採用チームに教え、やり方は任せるというように。
しかし私はこの時、「なぜ上手くいく方法を知っているのに、それを教えないでわざわざ試行錯誤させるのか?」という疑問を抱きました。
それに対し、ミシュランに務める友人は言いました。
「なぜなら、そこには完了されなくてはならない真のUnlearning(学んだことを捨て去ること)とRelearning(再び学ぶこと)があるからだよ。そしてそれには自分でやり方を見つけなくてはいけない時の苦戦が必要なんだ。」
人が完成された方法を与えられる時、そこにはその背後にある世界観やものの見方を学ばず、単純にその方法に順応してしまうというリスクがあるのです。
そのため、人に原則だけ教えて具体的なやり方を教えず、苦戦させ、考えさせ、学ばせることには価値があるのです。
しかし、このような考え方は必ずしも常に上手くいく訳ではありません。
というのも、時には実験を繰り返させてもなかなか思い付けない非常に巧妙な方法があるためです。
このような場合は具体的なやり方を教えた方がいい訳ですが、ここでもチームに学びを与えるために、複数のやり方を教えて試させ、一番いい方法を研究させるのがいいでしょう。
もしくは、原則だけ教えてしばらく実験させた後に、一番いい方法を教えることでもチームに学びの時間を取らせることが出来ます。
以上の”苦戦”に関する考え方は、私のリーダーシップに関する考え方にも影響を与えました。
一般的に直ちにミスを正すことがリーダーの美徳だと思われていますが、チームの成長のために、ミスを正す最適なタイミングを見計らうこともリーダーにとって必要なことではないでしょうか。
多くの組織で時計の振り子のように両極端な2つのパターンを試していました。
1つは官僚制で非常にルールに厳しいもの、もう一つは全くルールが存在しないゆるゆるな組織です。
どちらの組織も最終的に上手くはいきませんでしたが、そういった実験から組織は学びを得てより良い組織に変わっていきます。
恐らくこの時計の振り子の動きがUnlearningとRelearningの自然なプロセスなのかもしれません。
私からのお願いは、ミスを毎回直ちに正すようなリーダーシップを取るのではなく、まずは苦戦や試行錯誤に価値があるのかどうかをじっくり考えて見て欲しい、ということです。
従来のリーダーシップ像に対し疑問を抱き、チームに苦戦させることが学びに繋がるのかどうか、”車輪の再開発”に繋がるのかどうかを一度考えて見てください。
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