自主経営とは
「ティール組織」著者、フレデリック・ラルー氏の動画シリーズを要約しています。あくまで要約であり、すべての文言を正確に表現しているわけではございませんのでご了承ください。動画の翻訳については、ラルー氏のHPより「No more permission needed :)(許可必要なし)」とありますので、もし翻訳に協力したい方がいらっしゃれば、以下の動画の「設定」⇒「字幕」⇒「字幕を追加」で追加することが出来ます。

「自主経営とは何か?( What does self-management mean for you?)」要約

自主経営とは何か?

自主経営の捉え方は幾つかありますが、たいていの人は「自主経営とは物事をより良くオーガナイズ(組織する)こと」であると考えているようです。組織で働く人々にもっと決定権を与え、より良い決断が可能になれば業務が円滑に進み、社員のモチベーションが上がったりとうまく回るようにすること。自主経営をエンパワーメントのように捉えるのが主流のようです。

もちろんそういう捉え方でいいと思いますが、私は少々違う風に捉えています。それについて話してみたいと思います。

一つは「自主経営=より良く組織すること」ではなく、「自主経営=組織する唯一の方法」という考え方です。従来のヒエラルキー(階層)的なマネジメントの中心にあるのは、“誰かが誰かの上に立つ”、という考えです。仮に私があなたの上司なら、私はあなたより上なので、あなたの提案や昇進や雇用などにおいて私が決定権を持つわけです。一方、自主経営にはそういう考えはありません。

「誰かの上に立つ」のではなく「誰かと一緒に」という考えなので、ゼロサムゲームは成り立ちません。従来のやり方は、誰かに権力がある分、ほかの者に権力はないわけですが、自主経営においては、あなたが力をつけることが私の力にもなっていくという考えです。あなたが組織の目的のためにイニシアティブをとり行動的に動くことで様々な機会が生まれ、それが私の行動に繋がっていく。このように、自主経営にはパワー(権力)の捉え方に革新的な違いがあります。

私は、二度と権力を振りかざす者の下に身をおきたくないし、自主経営が実現できることだと知った以上、権力的なやり方に愕然とします。そしてまた、自分が誰かの上に立って権力を振りかざすこともしたくない。醜いことだと思うのです。私たちの歴史から考えても、自然な感覚です。人類史の98%くらいは、階級のない小さな社会で生きてきました。年配や知識人の知恵を借りることはあっても、誰かが支配することはなかった。ヒエラルキー的な社会になったのはここ数千年のことで、総人類史の小さな部分です。

故に、権力に支配された社会は感覚的に不自然なものです。階級というものは、とても醜い合理化が必要です。組織の上に立つ者は、そのようにふるまうために、自分が他より優れた人物である、と我を正当化しなければならない。自分は他より賢いとか、もっと仕事しているとか、遺伝子的に優位とか、何か自分と他を隔てる理由を見出して、上に立つことを正当化する。醜いことです。逆の場合もそうで、もし私が誰かの下なら、自分は劣っていると思ってしまうし、そう思わされる。実際、多くの組織では職位の高い者に“ステータス”を与えて優遇する。そうすることで、階級をリアルなものにし、この不自然なシステムを維持しているわけです。

私はよく給料のあり方について考えます。組織では、上に上がるにつれて給料も上がります。劇的に上がります。5倍、10倍、20倍、400倍、人より多くもらっています。この不自然な制度によって、自分はどんなにか重要な人物で、逆に底辺の者はいくらでも替えがいる、という感覚になってしまう。いっそ、逆にしたらいいんじゃないでしょうか。退屈な、同じことの繰り返しという苦痛な仕事にはたくさん支払う、という風に。

工場作業みたいな仕事は大変なので、彼らはCEOより多くもらっていいと思います。あんな大変な仕事を引き受けるCEOはいるでしょうか?給料を二倍にするからと言われても引き受けるCEOはいないでしょう。一番重要性の低い、充実した仕事は安く、面白味はないのに大変な仕事は高く支払われる方が理にかなっている気がします。もっと言えば、必要性のある者ほどお金を受け取ればいいのですが。子供を4人抱えていたり老いた母親を世話している人は、私よりお金を必要としているでしょう。これは究極の合理性であって、いつかはそこに到達すると思うが、現段階では、組織が自主経営スタイルに切り替わりつつあるとはいえ、給与はまだまだ能力給ベースですし、何事もすぐには変わらないでしょう。とはいえ、セルフマネジメントがもたらすモラルやインテグリティ面での真っ当さは、働きたいと思える組織にする唯一のやり方だと私は思います。

三つ目の捉え方は、「自主経営=最も自然な組織の仕方」です。先ほど言ったように、階級があるのは歴史でもほんの最近のことです。そんなことはない、階級は常に存在してきたし今さら不自然なことでもない、と言う人があるかもしれませんが、現にヒエラルキーのなかった歴史の方が圧倒的に長いわけで、その方が自然な形なのは確かです。さらに言えば、生命そのものが自主経営によって永らえてきたわけです。つい最近、前に書いたものを見つけたのですが、それがなかなか上手く書けているので読んでみます。

「自主経営は決して新しい概念ではない。生命がこれまで行ってきたやり方であり、私たちの理解を超えた美しく複雑な生態系を創り上げてきた仕組みである。カオスと背中合わせの秩序の中で生命は進化してきたのである。地球生態系もヒトの身体も脳も全てそうやって機能しているのだ。複雑適応系は確立した科学であり、実はこれまでの単純系を基にしたニュートン的科学観を置き換える、21世紀の科学観であると考えられている。セルフマネジメントもこの複雑系の考え方からきている。」

ですから、自主経営がしようとしていることは、自然そのものが運営してきた仕組みを学び、それを私たちの組織に活かすことだと思っています。

以上のようなことが何かを考えるきっかけになれば幸いです。自主経営をもっと単純に「より良く組織すること」と捉えたければそれで構いません。ただ、それに加えてもう二つの捉え方をここでは紹介しました。一つは、権力的な組織を脱する意味で「唯一の組織の仕方」であり、もう一つは生命を育んできた「一番自然な組織のやり方」であるという視点です。

 

▶自主経営(セルフマネジメント)についてはこちらにまとめ記事をアップしています。

 

 

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